Innovative Voice

更新日:2026.4.28
公開日:2026.4.28
電力の「いつ」を証明する
——環境価値プラットフォームが切り拓く、AI時代の新規事業開発
再生可能エネルギーが発電した時間帯を正確に記録し、需要データと紐付けることで時間帯ごとの環境価値を顕在化させる仕組み、それがJ-POWER(電源開発株式会社)が取り組む新規事業である「環境価値プラットフォーム」です。制度や市場ルールが変化を続けるこの領域では、システムにも変化への追従力が求められます。一方で、環境価値の裏付けとなるデータの真正性や一貫性は、揺らいではなりません。そこで採用されたのが、AIを中核に据えて開発サイクルを高速に回す「AI駆動開発」と、分散台帳技術によってデータの信頼性を担保するアプローチです。
開発を担うのは、分散台帳技術でデータの真正性を担保する株式会社Scalar(以下「Scalar」)と、AI駆動開発ツールdodoAI(ドードーエーアイ)を擁する58株式会社(以下「58」)。今回は開発の裏側に迫ります。(※本文中の所属・肩書は取材時点のものです。)
時間で証明する再エネ——環境価値プラットフォームとは何か
井手 現在J-POWERでは、環境価値プラットフォームを開発しています。これは、再生可能エネルギーで発電した電力について、発電した時間と使っている時間がマッチしていることを24時間365日証明する、いわゆる「24/7 Carbon-Free Energy(CFE)」と呼ばれる考え方に対応したプラットフォームです。利用者が本当の意味で、「再エネ100%」を実現できるための仕組みです。
今回は、この環境価値プラットフォームをともに開発しているScalar、58とともに、この開発について深堀りしていきます。まずは自己紹介をお願いします。
加藤氏 株式会社Scalarの加藤 哲裕です。Scalarは、複数・異種のデータベースを仮想的に統合するUniversal HTAPエンジン「ScalarDB」と、データの真正性を検証可能にする分散台帳技術「ScalarDL」を開発・販売する日本発のスタートアップです。私はこれまで、富士通、日本オラクル、グーグル・クラウド・ジャパンなどで、主にエンタープライズ向けのクラウドインフラ領域に一貫して携わってきました。

村上氏 58株式会社代表の村上仁です。弊社は、AI駆動開発を支える基盤としてのAI Agent OS「dodoAI」と、それを企業開発に適用するためのフレームワークを提供しています。私は基幹系システムのサーバーサイドエンジニアとしてキャリアを始め、その後、IT戦略、デジタル、新規事業開発へと領域を広げてきました。2017年以降はブロックチェーン領域にも取り組み、Scalar社とアクセンチュアとの兼業体制のもと、トヨタブロックチェーンラボへの出向や、NTTデジタルでのエンジニアリングディレクターを経験しました。現在は、「dodoAI」を軸に、AI駆動開発とAgentic AIによる企業のAIトランスフォーメーション支援を進めています。
井手 ありがとうございます。それぞれのプロジェクトでの役割を教えてください。
加藤氏 Scalarは、ScalarDBとScalarDLのソフトウェアを提供・サポートするとともに、J-POWERと一緒に「この環境価値を社会にどういう形で還元するか」という社会実装・事業設計に関わっています。
村上氏 58は、環境価値プラットフォームの開発を一貫して担当しています。上流の要件をJ-POWERと一緒に詰めながら、設計・開発・テストまで一連の工程を進めてきました。その際に、従来の開発手法ではなく、AI駆動開発という新しいアプローチを採用しているというところが、今回の環境価値プラットフォームのポイントと思います。

AIが主役になる開発——「AI駆動開発」とは
井手 AI駆動開発というのは最近よく聞くようになったキーワードですが、そもそも何が違うのか、もう少し教えてもらえますか?
村上氏 AIによる開発というと、単に「開発にAIを使う」と受け取られがちですが、実際のところ、使い方にかなり幅があります。AIをまったく使わない段階から、設計書やコードを書く補助にAIを使う段階が来て、58がやっているのはAIが「主役」として開発プロセスを動かしていくイメージです。AIが実際に手を動かして、人間が判断するという構造ですね。
その仕組みを実現するために作ったのがdodoAIです。dodoという名前は「”Do” “Do”」——つまり繰り返しの流れを回し続けるというコンセプトから来ています。開発フロー全体をAIエージェントが動かしながら、要所で人間がレビューして判断を下す。企業の品質基準やアーキテクチャのガイドラインをAIが常に把握した状態でプロセスを回すことで、大企業が求めるセキュリティや品質要件にも対応できるようにしています。
ポイントはイテレーション、つまり繰り返しの設計です。AIは大量に速く処理するのが得意ですが、一回では最適解にたどり着かない。むしろ重要なのは、一回やったものを別の観点で何度もチェックして品質を安定させていく。最初からそのサイクルを組み込むことで、ある程度磨かれたものを人間がレビューするという流れをとっています。
井手 実際、AI駆動開発を取り入れると、開発の進み方はどれくらい変わるものですか?
村上氏 58が携わる、ゼロから開発、構築するプロジェクトでは、AIエージェントを複数並列で走らせながら、かなり大きな規模のコードや設計成果物を短いサイクルで生成していくことがあります。感覚としては、仕様を定義しながら何度もぐるぐる回していくイメージですね。
ただ、そこで本当に大事なのは、コードの量そのものではありません。AIを使うことで試行回数を大きく増やせること、そしてその結果として、より早く形にして検証へ入れることに価値があります。
一方で、大企業の開発では、速く作れたものがそのまま使えるわけではありません。品質、セキュリティ、運用、保守といった基準に合わせて、最終的にはきちんと仕上げていく必要がある。実態としては「速く動くものを作る」ことと「企業の基準に合わせて磨き込む」こと、その両方を回していく形になります。

井手 AIを企業開発の中で本当に機能させるには、単に生成させるだけでは足りないということですね。
村上氏 そうですね。AIがざっと描いてくれるけど、それが正しく動くかどうかはまた別の話です。AIが安定して力を発揮できるようにするには、前提となる環境やアーキテクチャをきちんと設計しておく必要があります。そこを整えないまま導入しても、「思ったほど速くない」ということになりかねません。
AIをうまく使うということは、ある意味「組織のデザイン」だと私は思っています。人間の組織の場合、ルールや役割分担があるからチームは機能しますよね。それと同様にAIも適切な制約や基準があって初めて安定して働ける。設計があってこそ、暗黙知を形式知に変えながら、開発プロセスを再現性高く回していけるようになります。
加藤氏 AI駆動開発では、自然と責務の小さいモジュールに分解しながら設計を進める場面が増えます。AIのコンテキスト制約やレビューのしやすさを考えると、大きな一枚岩の構造よりも小さく分割された構造のほうが、相性が良いからです。その結果として、マイクロサービス的なアーキテクチャに寄りやすくなります。
ただし、そこで難しくなるのがデータアクセスです。サービスが分かれ、データベースも分散すると、複数のデータベースにまたがる一貫した更新をどう実現するかが課題になります。これをアプリケーション側で個別に作り込むと、複雑性が急激に増します。この課題をミドルウェア層で吸収するのがScalarDBの役割です。
加えて、AI時代には「このデータはどこから来て、本当に正しいのか」を検証可能にすることの重要性がさらに高まります。環境価値プラットフォームでScalarDLが担っているのはまさにその部分です。
環境価値プラットフォームとAI駆動開発の相性
井手 環境価値プラットフォームは、発電所側からのデータと需要家側のデータとを取得し、それをScalarDLで保全して、同じプラットフォームに載せてマッチングするという構造です。AI駆動開発との相性はどうですか?

村上氏 相性は非常に良いと思います。この領域は非常に新しくて、制度やルールがまだ決まりきっていない一方、堅牢なシステムが必要という性質を持っています。従来であれば時間をかけて腰を据えて開発するところですが、それができあがった頃には制度が変わっている、なんていうことも起きやすい。ビジネスモデルもその都度アジャストしていかなければならない時代ですから、そのアジャイルな変化に追従するためにも、AI駆動開発は、この領域と相性が良いのです。
一方で、Scalarが担っているデータの真正性・一貫性の部分は、どんなに世の中が変わっても揺るがない基盤として安定させていく必要があります。アプリケーションの部分はアジャイルに変えながら、データの基盤はしっかり守る。この組み合わせが環境価値プラットフォームのアーキテクチャとして機能しています。
加藤氏 制度変化への追従という点でいうと、AI駆動開発の活用は「開発」フェーズだけでなく、上流の「戦略」や「要件定義」のフェーズでも効いてきます。常に最新の規制情報を継続的に調べ、それをもとに最適な機能群を作り変えていく。新規領域では特にこの部分、いわゆる「試行回数を増やすことができる」ことが大事です。その上で、データの整合性や真正性を守る基盤が必要です。アプリケーションは柔軟に変える。しかし、証跡やデータの信頼性は揺らがせない。環境価値プラットフォームの設計は、まさにその分離の上に成り立っていると思います。
一般的なブロックチェーンと何が違うのか
井手 今回、ScalarDLという分散台帳技術を使っています。一般的にブロックチェーンと言われる技術とはどう違うのかを聞かせてください。
加藤氏 一般にブロックチェーンというと、まず思い浮かぶのはパブリックチェーン型の仕組みです。不特定多数の参加者が相互に合意を取りながら、中立的な記録基盤を維持することに強みがあります。ただ、企業システムで求められるものは少し異なります。重要なのは、機密性を保ちながら、記録されたデータが正しいことを担保できること、そして仮に改変があった場合にも、その事実を検知し、後から検証できることです。
ScalarDLが重視しているのは、不特定多数の参加者間で中立的な記録基盤を維持することそのものではなく、企業システムの中で、記録されたデータを後から検証可能にしておくことです。つまり、「改ざんを絶対に起こさせない」ことよりも、「改ざんがあれば分かり、検証できる」ことに重点を置いた設計だと言えます。

多くの企業ユースケースを見てきて感じるのは、実務においては「改ざんを絶対に起こさせない」ことそのもの以上に、「改ざんがあれば、それを検知し、後から検証できる」ことが重要になる場面が多いということです。特に監査の文脈では、「このデータは途中で変わっていないか」「いつ、どこで改変が起きたのか」を示せることに大きな意味があります。
ScalarDLは、そうした考え方を踏まえて設計されています。データベース上の記録をハッシュチェーンで連結することで、記録の真正性を後から検証できる構造を取っています。
この設計の利点は、企業システムで求められる検証可能性を、既存のデータ基盤と組み合わせながら現実的に実装しやすい点にあります。一般に、パブリックチェーン型の仕組みは合意形成のためのコストが大きくなりやすく、用途によってはスループットやレイテンシが制約になります。これに対してScalarDLは、企業内で必要な検証可能性に焦点を当てた設計であり、用途によっては拡張性や計算資源効率の面で有利に構成しやすいのが特徴です。環境価値のように、信頼性と実装現実性の両方が問われる領域では、この点に意味があると考えています。
村上氏 補足すると、ScalarDLのようなオフチェーンの技術と、ビットコインやイーサリアムのようなパブリックチェーンは対立関係というより補完関係にあると思っています。パブリックチェーンは、悪意ある参加者がいても正しく動き続ける中立的なインフラとしての特性を持っています。一方で企業の機密情報をすべてパブリックチェーンに上げるわけにはいかない。企業の内側では機密情報を適切に管理しながら、必要な証跡や真正性の担保を行う。そのうえで、必要に応じて外部に対して検証可能な形で証明を流通させる。証明の流通をパブリックチェーンで担保すれば、チェーンで広くつながっている人に届けられる。この組み合わせによって、データへの信頼が社会にスケールしていくというイメージですね。

AIと電力インフラが交わる未来——日本のデジタル競争力へ
井手 最後に少し広い視点で伺います。以前Scalar代表の深津さんから「これからはAIが人間に指示して動くソフトウェアになっていく」というお話を聞きました。そういった流れも踏まえながら、日本のソフトウェア産業やデジタル貿易赤字と言われるような課題について、お二人はどんな役割を果たしていきたいですか?
村上氏 私が思っているのは、日本の製造業をはじめとした企業が持つ強いノウハウが、今まで暗黙知の中に眠っていたということです。それが今、みんなAIに乗せようとしはじめている。AIの競争は今のところ、海外企業が圧倒的に強いですが、その土台の上で「自分のビジネスにどう使いこなすか」という部分は、これからの3〜4年で決まると思っています。
日本の製造業が持つすり合わせの能力、現場の知恵をAIに乗せることができれば、モビリティもロボティクスも、もう一度戦える土俵になっていくはずです。そしてその時に、AIが働く環境、データをどこで管理するかという問題を外部に全部委ねるのではなく、自社でしっかりコントロールする。つまり「データ主権」を持つことが重要になる。それがデジタル貿易赤字の縮小にもつながっていくと思っています。

加藤氏 私はずっとクラウドインフラの仕事をしてきた立場から、「データ主権」に加え「技術主権」という観点でお話ししたいと思います。ハイパースケールクラウドを使いこなすことは当然重要ですが、すべてを丸ごと委ねればよいという話ではありません。どの機能を外部基盤に乗せ、どのデータや制御点は自社で握るのか。その境界を設計できることが、これからの企業にとっての主権だと思います。特定の基盤に依存しすぎず、自らアーキテクチャの主導権を持てること自体が、企業にとっての交渉力になるからです。
AIがリアルタイムにデータを扱う社会になればなるほど、計算資源をどこで使うのか、データをどこに置き、どこまで自ら制御するのかという設計そのものが、経営と競争力の問題になっていくはずです。J-POWERとともに環境価値という領域に取り組んでいるのも、そうした時代に必要となる社会実装を先回りして形にしていく挑戦だと感じています。

村上氏 最後にちょっと付け加えると、日本って「三方よし」という考え方ができる国民性だと思っているんですよね。いわゆる競争しながら価値を社会の中で回していこうとする文化。AI時代の新規事業開発でも、そうした文化は大きな意味を持つのではないでしょうか。
加藤氏 そのうえで、私自身が大事にしているのは、「対話」と「共感」と「泥臭く汗をかくこと」です。新規事業もAI開発も、結局は技術だけでは前に進みません。制度も、現場も、組織も、人も、それぞれ前提が違う。その違いをつなぐには対話がいるし、相手の現実に寄り添う共感もいる。そして最後はきれいな言葉ではなく、泥臭く手を動かして信頼を積み上げるしかない。私は、それこそが日本の現場が本来持っている力だと思っています。テクノロジーの視点を取り戻し、その力と結びつけていくことが、日本のデジタル競争力をもう一度立て直す起点になるのではないでしょうか。
井手 ありがとうございます。電力の「いつ」を証明するという、一見地味に見える取り組みが、実はAI時代のデータへの信頼という大きなテーマにつながっている。今日はそれをリアルに感じられた時間でした。

株式会社Scalar
ソリューション・アーキテクト
加藤 哲裕
Akihiro Katoh

58株式会社
CEO / Dubai & Global
村上 仁
Hitoshi Murakami

イノベーション推進部 企画室
課長
井手 一久
Kazuhisa Ide

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